JAL123便事故から40年

JL133 航空
18時発伊丹行はJL133便となり今日も飛んでいます。

昨日、8月12日はJAL123便墜落事故が発生した日です。

40年前の1985年(昭和60年)、羽田18時発伊丹行JAL123便B747-SR型JA8119機が離陸後、機体後部の圧力隔壁が修理ミスにより金属疲労から破損し気圧により垂直尾翼と補助動力装置を吹き飛ばした際に、操縦に不可欠な油圧操縦システムを損傷させ、操縦不能に陥り迷走飛行の末、群馬県の御巣鷹山に墜落し乗客乗員520人が無くなりました。

あれから40年の月日が経ちます。
もうと言うのかまだと言うのか・・・これは人それぞれですがあの悲惨な事故のニュース速報は今もでも思い出します。

先日、インドでは離陸直後のドリームライナーが墜落して乗員乗客241人と地上にいた19人の計260人が亡くなっています。
航空機事故は一度発生すると多くの生命を消し去る大きな事故になります。
あれから40年を経っても残念ながら未だに墜落事故を無くすことは出来ていませんが、安全にまつわる基準や装置はかなり進歩しています

JAL123便の原因は圧力隔壁の破壊により操縦不能になった事が原因です。
金属疲労と言う言葉が一躍有名になりましたね。

この123便にまつわる陰謀説は多くの著書などもあり今でもくすぶっています。
自分も正直、当時の状況から事故調査報告書を100%信じるかと言えば疑問を呈しますが、520名の方々が亡くなった事実は確かです。
時代が時代ですから憶測や推測で物事を知るしか無かったこともありますが、今ならもっと白黒が着いたのかも知れません。当時はFlightRaderなんかありませんでしたからね。

今も御巣鷹山に眠る520名の魂が安らかな眠りにつけることを祈りつつ合掌

コメント

タイトルとURLをコピーしました