第二青函トンネルを考える

連絡船からトンネルに主役が交代し30年

連絡船からトンネルに主役が交代し30年

新幹線が北の大地を走るまであと3週間。青函トンネルの新幹線切り替え準備の為、在来線は3月21日の運転をもって休止となります。

貨物列車は内地と北海道を結ぶ物流の大動脈だけに運休せずに運転されますが、新幹線開業後は新幹線と貨物列車が共用する初めての運行形態になります。
その為、多くの制約が発生して残念ながら新幹線の速達性が失われた訳ですが、新幹線の速達性より貨物物流の速達性が損なわれなかったのは何よりです。

しかしながら青函トンネルが開通して30年、本工事着手が昭和46年は45年前になります。今でこそ634mの電波塔を造ったりと建築技術は世界一の水準ですが、当時、世界最長の長距離海底トンネルを掘ると言うのは難工事でした。
何度と無く発生した異常湧水に阻まれ本坑が貫通したのは昭和60年でした。

初めて自分が昭和60年に上野から急行八甲田に乗車し、青函連絡船で北海道へ渡った時は本当に新幹線が北海道へ来るとは想像出来ませんでしたね。

ようやくなのか遂になのか?
北海道へ新幹線が延伸される頃、青函トンネルは老朽化の問題が発生してきます。
コンクリートの寿命は諸説ありますが50~100年程度と言われているのが多いようです。青函トンネルは海底部を走ることから湧水に塩分が含まれていることから、腐食なども考えると100年持たせるのは難しいでしょう。

短く見積もって50年としたら後20年、初期の本坑部分は後5年と言うことになります。既に改修補強工事は行われて延命されていますが、そろそろ第二青函トンネルの議論を始める時期に来ているのでは無いでしょうか?

コメント

タイトルとURLをコピーしました