赤平と思っていたら歌志内でした。

赤平駅 鉄道
貨物で賑わっていた赤平駅構内も自然に還ってました。

もう30年位前に北海道でも数が少なくなった石炭貨物を撮影した写真なのですが、これまで根室本線の赤平で撮影したのと思っていました。
ですが今回、分断された根室本線の滝川側を乗った際に赤平駅を通って、あれ感じが違うような・・・と
赤平や芦別、歌志内、上砂川などこの周辺には炭鉱が多くあり、石炭輸送の為に鉄道が敷設されたと言っても過言ではないでしょう。

かつては石炭輸送で賑わった芦別や赤平駅構内でしたが、今では自然の還ってしまい、当時を知る人で無いと想像がつかない程です。
自分が初めてこの付近を通った時はもう炭鉱終焉間際でしたので車扱い貨物が1往復あるかどうかでした。

そんな中撮影したのがこちらです。

歌志内駅

歌志内駅で撮影した貨物列車

当時はこんな撮影も機関士さんから許しを貰えたものです。今じゃ、当然駄目です。

この写真はてっきり先日まで赤平炭鉱の石炭輸送だと思っていましたので赤平駅で撮ったと勘違いしていました。

昭和の最後頃では赤平炭鉱が最後まで残り、江別の火力発電所へ石炭を供給してその為に車扱い貨物が残って居たと記憶していたのですが・・・もしかした違うかも知れませんが・・・。

Google MAPでよくよく調べたら、歌志内駅と言うのが判りました。決めては背後に写っている「花屋さん」の看板と時計店の「時計」でした。
歌志内線の廃線が1988年(昭和63年)4月25日ですから、少なくても35年以上前になります。

それにDD51が牽引していたので支線級では無く本線級の路線だろうと思ってましたが、そもそも石炭輸送用の線区なので線路規格の高かったのでしょうね。

DD51牽引で歌志内を出発する石炭専用貨物

石炭を積載したセキには「道外禁止」の黄色帯があるのが北海道内での石炭輸送のシンボルマークみたいなものでした。
国鉄末期には石炭輸送はかなり無くなってましたから見る機会は少なく、撮影に行っても運休だったりしてなかなか出会うのが難しった記憶があります。

それにしても北海道の衰退ぶりを見ていると北海道の将来はどうなるんだろうと心配してしまいます。

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