信楽高原鉄道と言うと一番に思いつくのが1991年5月14日に発生した列車衝突事故です。国鉄からJRに移行後初の大事故で、それも正面衝突と言う普通あり得ない事故でした。
信楽高原鐵道は第三セクターで貴生川と信楽を結んでいる鉄道と言う認識はありましたが、「高原」と言う名にちょっと違和感を当時を覚えた記憶があります。
高原と言うと小海線の野辺山みたないイメージを持っていたので近畿にそんな高原なんてあったのかなと言う認識でした。
先月そんな信楽高原鐵道を乗りに行って、なるほどこれは「高原」だと改めて社名の由来を再認識しました。
起点の貴生川は高原と言うより平地のローカル駅と言う感じでしたが、信楽行は発車すると田園風景をはるかと思いきやぐんぐんと山をカーブしながら登っていきます。
第三セクターに移管された鉄道では良く利用者を増やす為に駅を増やして利便性向上をしたりしますが、貴生川駅を出ると山岳路線さながらの上り勾配で次の駅まで約10km間隔があり、サミット付近では眼下の展望が開け、車窓からこれは「高原」だと認識しました。
この辺りは忍びの里としても有名だったなと思い出し山間部であってもおかしく無いわけでそんな山間部を結ぶ鉄道は地元としては大切な路線なんだなと・・・
終点の信楽駅では「たぬき」に出迎えられました。
なんせココは信楽焼の窯元が集まる街で信楽焼きと言えばたぬきですからね
折り返しの貴生川行はガラガラになるかなと思ったのですが結構乗客が居たのも驚きで、信楽高原鐵道は事故の際に廃線になるのでは危惧されましたが、その後上下分離されるなどしながもこうやって地元の支えで残っているのは嬉しいものです。
ちょっとした「高原」列車の旅はなかなか面白い反面、事故の教訓は忘れてはならないなと思いながら草津線に乗り換えました。
そうそう、信楽高原鉄道のホームには乗り換え対応の改札機がありました
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